日本の聖ニコラス (+1912年2月16日) St Nickolas Kasatkin of Japan (+1912)

http://saintsofmyheart.wordpress.com

SAINTS OF MY HEART

japan.jpg

180px-NikolaiJapan188207.jpg

日本の聖ニコラス

(+1912年2月16日)

japan-1.JPG

40291.jpg

ニコライ (日本大主教)

ニコライ(修道誓願前の姓:カサートキン、 1836年8月1日(ロシア暦) – 1912年2月16日)は日本に正教を伝道した大主教(肩書きは永眠当時)。日本正教会の創建者。正教会で列聖され、亜使徒の称号を持つ聖人である。

「ロシア正教を伝えた」といった表現は誤りであり(後述、ニコライ本人も「ロシア正教を伝える」のではなく「正教を伝道する」事を終始意図していた。

ニコライは修道名で、本名はイワン・ドミートリエヴィチ・カサートキン。日本正教会では「亜使徒聖ニコライ」と呼ばれる事が多い。日本ではニコライ堂のニコライとして親しまれた。

神学大学生であった頃、在日本ロシア領事館附属聖堂司祭募集を知り、日本への正教伝道に駆り立てられたニコライは、その生涯を日本への正教伝道に捧げ、日露戦争中も日本にとどまり、日本で永眠した。

生涯

初期

スモレンスク県ベリスク郡ベリョーザの輔祭、ドミトリイ・カサートキンの息子として生まれる。母は5歳のときに死亡。ベリスク神学校初等科を卒業後、スモレンスク神学校を経て、サンクトペテルブルク神学大学に1857年入学。在学中、ヴァーシリー・ゴローニンの著した『日本幽囚記』を読んで以来日本への渡航と伝道に駆り立てられたニコライは、在日本ロシア領事館附属礼拝堂司祭募集を知り、志願してその任につくことになった。

在学中の1860年7月7日(ロシア暦)修士誓願し修道士ニコライとなる。同年7月12日(ロシア暦)聖使徒ペトル・パウェル祭の日、修道輔祭に叙聖(按手)され、翌日神学校付属礼拝堂聖十二使徒教会記念の日に修道司祭に叙聖された。ミラ・リキヤの奇蹟者聖ニコライは東方教会において重視される聖人であり、好んで聖名(洗礼名)・修道名に用いられるが、ニコライも奇蹟者聖ニコライを守護聖人として「ニコライ」との修道名をつけられている。

函館時代

翌1861年に箱館のロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任。この頃、元大館藩軍医の木村謙斉から日本史研究、東洋の宗教、美術などを7年間学んだ。また、仏教については学僧について学んだ。

ニコライは慶応4年4月自らの部屋で密かに、日本ハリストス正教会の初穂(最初の信者)で後に初の日本人司祭となる沢辺琢磨、函館の医師酒井篤礼、南部藩出身浦野大蔵らに洗礼機密を授けた。この頃、木村が函館を去った後の後任として新島襄から日本語を教わる。新島は共に『古事記』を読んで、ニコライは新島に英語と世界情勢を教えた。

懐徳堂の中井木菟麻呂らの協力を得て奉神礼用の祈祷書および聖書(新約全巻・旧約の一部)の翻訳・伝道を行った以後、精力的に正教の布教に努めた。

明治2年(1869年)日本ロシア正教伝道会社の設立の許可を得るためにロシアに一時帰国した。ニコライの帰国直前に、新井常之進がニコライに会う。

ニコライはペテルスブルクで聖務会院にあって首席であったサンクトペテルブルク府主教イシドルから、日本ロシア正教伝道会社の許可を得ることができた。1870年(明治3年)には掌院に昇叙されて、日本ロシア正教伝道会社の首長に任じられた。ニコライの留守中に、日本では沢辺、浦野、酒井の三名が盛んに布教活動を行った。

明治4年(1871年)にニコライが函館に帰って来ると、沢辺の下に身を寄せていた人々が9月14日(10月26日)に洗礼機密を受けた。さらにニコライは仙台地方の伝道を強化するために、小野荘五郎ほか2人を派遣した。ニコライは旧仙台藩の真山温治と共に露和辞典の編集をした。

東京時代

明治4年12月(1872年1月)に正教会の日本伝道の補佐として、ロシアから修道司祭アナトリイ・チハイが函館に派遣された。明治5年ロシア公使館が東京に開設されることになった。函館の領事館が閉鎖されたが、聖堂は引き続き函館に残されることになったので、ニコライはアナトリイに函館聖堂を任せて、明治5年1月に築地に入った。ニコライは仏教研究のために外務省の許可を得て増上寺の高僧について仏教研究を行った。

明治5年(1872年)9月に駿河台の戸田伯爵邸を日本人名義で購入して、ロシア公使館付属地という条件を付け、伝道を行った。明治5年9月24日東京でダニイル影田隆郎ら数十名に極秘に洗礼機密を授けた[注釈 1]。

明治7年(1874年)には東京市内各地に伝教者を配置し、講義所を設けた。ニコライは、神奈川、伊豆、愛知、などの東海地方で伝道した。さらに京阪地方でも伝教を始めた。

明治7年5月には、東京に正教の伝教者を集めて、布教会議を開催した。そこで、全20条の詳細な『伝道規則』が制定された。

明治8年(1875年)7月の公会の時、日本人司祭選立が提議され、沢辺琢磨を司祭に、酒井篤礼を輔祭に立てることに決定した。東部シベリアの主教パウェルを招聘して、函館で神品会議を行い、初の日本人司祭が叙任された。このようにニコライを中心に日本人聖職者集団が形成された。さらに、正教の神学校が設立され、ニコライが責任を担った。

明治9年(1876年)には修善寺町地域から岩沢丙吉、沼津市地域から児玉菊、山崎兼三郎ら男女14名がニコライから洗礼を受けた。

明治11年(1878年)、ロシアから修道司祭のウラジミール・ソコロフスキーが来日して、ニコライの経営する語学学校の教授になり、明治18年までニコライの片腕になった。

明治12年(1879年)にニコライは二度目の帰国をし、明治13年に主教に叙聖される。その頃の教勢は、ニコライ主教以下、掌院1名、司祭6名、輔祭1名、伝教者79名、信徒総数6,099名、教会数96、講義所263だった。同じ年、正教宣教団は出版活動を開始し、『正教新報』が明治13年12月に創刊された。愛々社という編集局を設けた。

明治13年(1880年)イコンの日本人画家を育成するために、ニコライは山下りんという女性をペテルブルグ女子修道院に学ばせた。3年後山下は帰国し、生涯聖像画家として活躍した。

明治15年(1882年)に神学校の第一期生が卒業すると、ロシアのペテルブルグ神学大学やキエフ神学大学に留学生を派遣した。

明治17年(1884年)に反対意見があり中断していた、大聖堂の建築工事に着手して、明治24年に竣工した。正式名称を復活大聖堂、通称はニコライ堂と呼ばれた。

明治26年(1893年)ニコライの意向により、女流文学誌『うらにしき(裏錦)』が出版された。明治40年まで存続し明治女流文学者の育成に貢献した。

明治37年(1904年)2月10日に日露戦争が開戦する前の、2月7日の正教会は聖職者と信徒によって臨時集会を開き、そこでニコライは日本に留まることを宣言し、日本人正教徒に、日本人の務めとして、日本の勝利を祈るように勧めた。

内務大臣、文部大臣が開戦直後に、正教徒とロシア人の身辺の安全を守るように指示した。強力な警備陣を宣教団と敷地内に配置したので、正教宣教団と大聖堂は被害を受けることがなかった。
神田駿河台の正教会本会で没した。谷中墓地に葬られる。

不朽体

1970年、谷中墓地改修の際に棺を開けると不朽体が現れた。同年、ロシア正教会はニコライを「日本の亜使徒・大主教・ニコライ」、日本の守護聖人として列聖した。日本教会が聖自治教会となったのはこのときである。ニコライの不朽体は谷中墓地のほか、ニコライ堂(大腿部)、函館ハリストス正教会などにあり、信者の崇敬の対象となっている。列聖以降、日本の亜使徒聖ニコライ、聖ニコライ大主教と呼ばれる。記憶日(祭日)は2月16日(ニコライ祭)。

ニコライが伝道した「正教」

ニコライが「ロシア正教を伝えた」とする媒体が散見されるが、「ロシア正教会」「ロシア正教」は最も早くに見積もっても1448年に成立した独立正教会の組織名であり、教会の名ではない。「正教を伝えた」が正しい表現である。ニコライは「(組織としての)ロシア正教会に所属していた」とは言えるが、あくまで「正教を伝えた」のであり、「ロシア正教会」という「組織」を伝えた訳ではない[注釈 2]。

正教会は1カ国に一つの教会組織を具えることが原則であり各地に正教会組織があるが(ロシア正教会以外の例としてはギリシャ正教会、グルジア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、日本正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会に教義上、異なるところは無く、相互の教会はフル・コミュニオンの関係にあり、同じ信仰を有している。

ソース:

Wikipedia

 

Advertisements

Ο Εβραίος Ραβίνος Ισαάκ Μ. από την Άρτα που πίστεψε στο Χριστό, χειροτονήθηκε Ιερέας & έγινε Ιεραπόστολος στη Ρουμανία & Ιαπωνία

http://conversionstoorthodoxy.wordpress.com

CONVERSIONS TO ORTHODOXY

Ο Εβραίος Ραβίνος Ισαάκ Μ. από την Άρτα

που πίστεψε στο Χριστό, χειροτονήθηκε Ιερέας & έγινε Ιεραπόστολος

στη Ρουμανία & Ιαπωνία

Εισαγωγή

Στο βιβλίο αυτό, ο συγγραφέας Νικόλαος Αμβράζης, θεολόγος, παρουσιάζει με γλαφυρό και συγχρόνως συναρπαστικό τρόπο και με πολλές λεπτομέρειες, την μεταστροφή ενός πρώην Εβραίου Ραββίνου ελληνικής καταγωγής, τον Ισαάκ από την Άρτα, στην Ορθόδοξη Χριστιανική πίστη και ζωή την οποία ακολούθησε με πολύ ζήλο, αφοσίωση, αγωνιστικότητα, ανιδιοτέλεια, αυταπάρνηση, υπακοή, υπομονή και αγάπη.

Ο Ισαάκ Μ. ως Εβραίος και Ραββίνος, ήταν ζηλωτής των πατρώων εβραϊκών παραδόσεων και μισούσε τον Χριστιανισμό, μετά δε την μεταστροφή του, ως Χριστιανός, ομολόγησε με παρρησία τον Χριστό, μελέτησε εις βάθος την Αγία Γραφή και τα Ορθόδοξα δόγματα, χειροτονήθηκε ιερέας της μητρός Ορθοδόξου Εκκλησίας του Οικουμενικού Πατριαρχείου της Κωνσταντινουπόλεως και έζησε αγία ζωή.

Ο π. Ιωάννης, ο πρώην Ραββίνος εργάστηκε ιεραποστολικά μεταξύ των ομοθρήσκων και ομοεθνών του Εβραίων στην Κωνσταντινούπολη, στη Ρουμανία και στην Ιαπωνία, όπου πήγε ακολουθώντας τον πρώτο Ορθόδοξο ιεραπόστολο της Ιαπωνίας, ρώσο επίσκοπο Νικόλαο. Εκεί στην Ιαπωνία, παρέδωσε το πνεύμα του εν Κυρίω ως ιεραπόστολος.

Η ζωή του ήταν περιπετειώδης, η καρδιά του καθαρή και χριστοφόρα, η ευσέβειά του πατερική, η πίστη του φωτεινή, το τέλος του οσιακό.

Γνωριμία και φιλία του Ισαάκ με το Νικόλαο

Ο Νικόλαος Αμβράζης (1854-1926) καταγόταν από την Άρτα της Ηπείρου από πιστούς και πτωχούς γονείς. Μετά το τέλος των γυμνασιακών του σπουδών, πήγε Continue reading “Ο Εβραίος Ραβίνος Ισαάκ Μ. από την Άρτα που πίστεψε στο Χριστό, χειροτονήθηκε Ιερέας & έγινε Ιεραπόστολος στη Ρουμανία & Ιαπωνία”

天国にはどうやって行くのですか How do I get to Heaven?

http://ilovejapanorthodoxy.wordpress.com

I LOVE JAPAN – ORTHODOXY

天国にはどうやって行くのですか

How do I get to Heaven?

天国にはどうやっていくのか、つまり最後の審判の時に、永遠の生命をいただくためにはどうすればいいのか。簡単です、神さまがお喜びになるような生活をすることです。つまり、それまでの神さまに背いていた生活を悔い改め、ハリストスの救いを信じ、ハリストスの教えた生き方を生きること、つまり「愛」です。仲直りできていない人がいれば赦し、仲直りし、人をいじめたり困らせるのをやめ、反対に、弱い人たちを助け、困っている人たちに親切にし、悲しんでいる人を慰めてあげることです。

キリスト教のことを全く知らないで生涯を送った人でも、同じような愛の生活を送った人は、永遠の生命に入れられるでしょう。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/中学生の質問にお答え.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

 

Orthodoxie in aller Welt ╰⊰¸¸.•¨* German

http://edelweissofmyheart.wordpress.com

EDELWEISS OF MY HEART

1507_cosmos_main

Orthodoxie in aller Welt

Die Orthodoxe Kirche in Finnland

 

Die Orthodoxie in Italien

  

Die orthodoxen Gläubigen in Japan bitten uns um unsere Gebete

 

Die orthodoxe Kirche in Japan

 

Die orthodoxe Kirchengemeinde zur Allerheiligsten Dreifaltigkeit in Lima

 

Die Orthodoxe Kirche auf Madagaskar

 

Die Orthodoxe Kirche auf Kuba

聖書の内容を教えてください Please tell me the contents of the Bible

http://orthodoxyislove.wordpress.com

ORTHODOXY IS LOVE

聖書の内容を教えてください

Please tell me the contents of the Bible

現在キリスト教が用いている聖書はおよそ二千年近くかかって書き記された様々な文書を寄せ集めたものです。それは、それぞれの時代の、指導者たち、祭司たち、預言者たち、詩人たち、また新約聖書ではハリストスの使徒たちが、神さまから特別のお力をいただいて書き記しました。神さまが人間に教え伝えたいメッセージを知るための、大変重要な啓示(本来目に見えない神さまが人にご自分を示すこと)です。

旧約聖書は、天地創造の物語からイイススがこの世に生まれる直前までの、人類と、特に神さまが人間の救いの突破口としてお選びになったユダヤ民族の、神さまとの関わりが、歴史物語、律法(守るべき戒め)、礼拝の歌、預言者たちの言葉など、さまざまな種類の文書で描かれています。

新約聖書は、ハリストスの生涯とそのお言葉を伝える四つの「福音書」、使徒たちの働きを記録した「使徒行伝」、聖パウロや他の使徒たちの「手紙」と、この世の終わりのことを不思議な象徴をたくさん使って暗示した「黙示録」によって構成されています。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/中学生の質問にお答え.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

Die orthodoxe Kirche in Japan ╰⊰¸¸.•¨* German

FD
Ikone des heiligen Nikolaus von Japan
uuyg
“Vater Unser” in japanischer Sprache

Die orthodoxe Kirche in Japan

http://orthodoxjapan.jp

logo

Die orthodoxe Kirche in Japan ist eine autonome orthodoxe Kirche unter dem Omophorion der russischen Kirche.

Der orthodoxe Glaube gelangte durch den heiligen Nikolaus von Japan (Ivan Dmitrievic Kasatkin 1836 – 1912, im Mönchstand Nikolaj ) in das Reich des Tenno. Im Jahre 1861 war er als Priester in das russische Konsulat in Hakadate auf der japanischen Insel Hokkaidō gekommen. Japan wurde damals durch Militärstatthalter, die Shogune, regiert. Diese hatten, nach ersten christlichen Missionserfolgen durch portugiesische Jesuiten im 16. Jahrhundert, das Bekenntnis zum christlichen Glauben zwischen 1614 und 1873 verboten. Seitdem waren alle japanischen Christen den härtesten Verfolgungen und Repressionen ausgesetzt. Dennoch hielten sich vereinzelte christliche Gemeinden im Untergrund, die mit dem japanischen Begriff Kakure kirishitan (= geheime Christen) bezeichnet wurden. Trotz dieser Situation nahmen auch Japaner an den orthodoxen Gottesdiensten in der Kapelle in Hakadate teil. Im Jahre 1864 wurden dann die ersten Japaner orthodox getauft. Abgesehen von einigen kurzen Besuchen in seiner Heimat blieb der heilige Nikolaus Zeit seines Lebens, so auch während des russisch- japanischen Krieges in den Jahren 1904/ 05 in Japan. Er verbreitete ab 1861 den orthodoxen Glauben im ganzen Land und wurde auch zum ersten Bischof der orthodoxen Kirche in Japan geweiht. 1863 wurde der Bischofsitz von Hkadate in die Hauptstadt Tokio verlegt. Dort wurde dann ab 1884 die Auferstehungskathedrale erbaut, die 1891 geweiht werden konnte. Der heilige Nikolaus war in besonderer und vorbildlicher Weise Hirte seiner wachsenden Herde und von einen stets andauernden missionarischen Eifer erfüllt. 1886 gab es in Japan schon über 10.000 orthodoxe Christen. Auch bei seinen nichtchristlichen Mitbürger genoß er ein hohes Ansehen. So wurde die orthodoxe Kathedrale im Volksmund Nikolai- Do, das heißt „Haus des Nikolaus“, genannt. Der heilige Nikolaus besaß ein gutes Sprachgefühl und erlernte die japanische Sprache auf einem sehr fortgeschrittenen Niveau. So übersetzte das er das Neue Testament, das Fasten Triodion, das Pentekostarion, die Gottesdienste der Festtage, den Psalter und das Buch der kirchlichen Hymnen ins Japanische und schuf so die Grundlage für eine tiefe Verwurzelung seiner Gläubigen im orthodoxen Glauben. 1970 wurde der heilige Nikolaus der Schar der Heiligen beigezählt und wegen seines missionarischen Wirken im Landes der aufgehenden Sonne mit dem Titel des „Apostelgleichen“ ausgezeichnet.

Die autonome orthodoxe Kirche in Japan ist in drei Diözesen gegliedert: Die Erzdiözese von Tokio wird vom Ersthierarchen, dem Metropoliten Daniel (Nushiro) von Tokio und ganz Japan geleitet. Ihm zur Seite stehen die Bischöfe der Diözese von Ost- Japan in Sendai und der Diözese von Westjapan in Kyoto. Es exestiert ein orthodoxes Priesterseminar und ein kleines Mönchskloster in Tokio. In der Tradition des heiligen Nikolaus stehend, gibt die orthodoxe Kirche Japans das Neues Testament und das Buch der Psalmen, sowie viele Bücher für den liturgischen Gebrauch und zur Unterweisung der Gläubigen im orthodoxen Glauben heraus. Am Seminar werden die orthodoxe Kirchenzeitung “Seikyo Jiho” und die Mehrzahl der orthodoxen Bücher herausgegeben und gedruckt. Heute gehören zur orthodoxen Kirche in Japan ca. 30000 Gläubige, das sind etwa 3 % aller japanischen Christen. 30 Priester und fünf Diakone betreuen etwa 150 orthodoxe Gemeinden, von denen sich die meisten auf der Nordinsel Hokaido befinden.

(Quelle: Zusammengestellt mit Hilfe von Informationsmaterial aus dem orthodoxen Internet- Lexikon „OrthodoxWiki“ (www.orthodoxwiki.org) von Thomas Zmija- Horjanyj)

image

Gedenke, o Herr,

Deiner leidenden Diener und Dienerinnen

und errette sie aus jeder Not und Bedrängnis.

Amen.

FS
Die Auferstehungskathedrale in Tokio, Japan
image
Bischof Seraphim von Sendai mit dem Klerus seiner Kathedrale
image
Wo alles begann: die alte russische Kirche in Hakodate auf Hokaido, Japan
D
Die Verkündigungskathedrale in der alten Kaiserstadt Kyoto, Japan

Quelle:

http://www.orthodoxe-kirche-albstadt.de

http://www.orthodoxe-kirche-albstadt.de/orthodoxie-in-aller-welt/orthodoxe-kirche-in-japan/

ORTHODOXE KIRCHE ALBSTADT

アトス山 – 正教会 Athos ╰⊰¸¸ •¨* ビデオ Video

https://japanofmyheart.wordpress.com

JAPAN OF MY HEART

1315323706_www.nevseoboi.com.ua_-gowall.ru-25

アトス山 – 正教会 Athos