旧約聖書=イエス・キリスト登場前。 新約聖書=イエス・キリスト登場後 Holy Bible: Old and New Testament

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MULTILINGUAL HOLY BIBLE

旧約聖書=イエス・キリスト登場前

新約聖書=イエス・キリスト登場後

聖書の原典は、旧約聖書がヘブライ語で、新約聖書がギリシャ語で書かれてる。

なので、「英語聖書」とか「日本語聖書」というのは、正確には「各国語に翻訳された聖書」。

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正教会のお葬式 Orthodox funeral

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TEXTS – ORTHODOXY

正教会のお葬式 Orthodox funeral

日本人に最もなじみ深いお葬式はいわゆる「仏式」のお葬式でしょう。祭壇に置かれたお棺を前に、僧侶が仏教の深遠な真理を記したお経を唱え、死者に真理の「悟り」を促し、「成仏」させます。「仏」とは「悟った者」という意味です。人は真理を知らないから迷い苦しむとされます。だから真理を悟れば救われるというわけです。

これに対しキリスト教のお葬式、特に私たち正教会のお葬式は「祈り」です。
私たち人間はたとえ真理を知っていても、真理を生きられません。自己中心的な生き方で神に背き、神が人に与え、その限りない深まりへとお招きになる、いきいきとした神との交わりの生活を失ってしまったからです。そこで、神はご自身のひとり子 を人としてこの世に遣わしました。ハリストス(救世主キリスト)です。悔い改め、信じ、洗礼を受けて、人となった神・ハリストスの人間性を分かち合い、人ほんらいの生き方を回復する道がさしだされました。この救いへの招きに応えたのがクリスチャンです。しかし、神に向かう者を妨げようと躍起になる悪魔の誘惑はまだ神への道の途上にあり、以前の罪深さの影響をひきずる私たちに、洗礼の後も罪を犯させます。クリスチャンは神の赦しを信じ、何度でも悔い改め、何度でも立ち上がりますが、完成への途上でこの世を去らねばなりません。もはや自分の口、自分の体で神に祈り、人生の歩みの中で悔い改めの実りを生み出してゆくことはできません。

そこで私たちは、「愛」である神に、神への愛をもって、永眠者への愛に突き動かされて、そして、教会という「愛の交わり」の中にあって、祈ります。どうか、私たちの愛する永眠者の罪を赦し、あなたのみもとにしばし安らわせ、やがて世の終わりに実現される永遠の神の国に、輝かしい肉体をもってよみがえらせ給えと。
これが葬儀や記憶祭など、正教会が死者の為に行う礼拝の意味です。

永眠者の眠る棺は、永眠者が私たちの愛の内から、神の愛へとゆだねられ、引き渡されることを象徴して、参会者の中央に、神の臨在を示す至聖所(外部会場ではハリストスの聖像や十字架が置かれる方向)へ向けて置かれます。棺は神の国への旅を安全に守る船です。
また祈祷中、参会者は、十字架で殺されたハリストスが三日目にその初穂として示し、やがて私たち神を信じる者すべてが与ることになる永遠の生命への復活を象り、立って祈ります。手に持つローソクは私たちの心に灯された信仰と、私たちを導く光・ハリストスを表します。
そして何より、参会者が一体となって祈ることを通じ、永眠者と私たちが、やがてそこによみがえり、そこで再び手を取りあい頬を寄せ合う、神の国の愛の集いへの希望を確かめ合います。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/正教会のお葬式.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

キリストはほんとうに生き返ったんですか Was Jesus Really Resurrected?

キリストはほんとうに生き返ったんですか

Was Jesus Really Resurrected?

ハリストスの復活は仮死状態から蘇生したのとは違います。三日目によみがえったということは、完全に死んでから、ふたたび生命を得たということです。しかも、お弟子さんたちの隠れている部屋に、閉ざされた扉を通じて入って来れるような不思議な「新しい体」をもってよみがえりました。それでも幽霊ではないということを教えるために、お弟子さんたちの前でお魚をむしゃむしゃ食べたり、十字架に釘づけられた傷を見せて、さわって見なさいと命じたりしました。

ほんとうに不思議なことです。でも、これを信じなければキリスト教ではなくなります。このハリストスの復活を信じてこそ、終末の時の全人類の復活への信仰も、私たち一人一人の洗礼による、また悔い改めによるよみがえりへの信仰も確かなものとされるのです。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/中学生の質問にお答え.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

正教の霊的勧告集 Orthodox spiritual recommendation collection

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TEXTS – ORTHODOXY

正教の霊的勧告集

Orthodox spiritual recommendation collection

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名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

謙遜は凡(およそ)の徳行の基礎なり。
謙遜とは啻(ただ)に言行に於いてのみならず凡の動作及び口気に於いて謙遜なるを指す。
或る者に対して謙遜にして他の者に対して倨傲なるなかれ。
その友たると敵たると貴人たると賎人たるとを問わず
凡の人に対して謙遜なれ。
真の謙遜とは斯かる謙遜を指す。(金口イオアン)

愛のあるその所にのみ忍耐はあり…
愛を身に纏いたる人に在りて一つの難事なし、
愛は困難を知らず。(金口イオアン)

神(しん)の一なるとは内心の一致を指す…
ただ和平を守るに止まらず
汝らの間に神(しん)の一、心の結合、一つの神、一つの霊のあらん事を務めよ。
老若、貧富、男女の別なく
皆牧者の指導のもとに在りてはハリストスを中心として一とならん。
一なる神の神(しん)は汝ら衆人を包容す
故に、汝らは神の神(しん)を自己に保有するを務めよ。
汝らが和平の繋ぎと聖なる愛を保有すべきは
聖なる教会の体の一なる事がこれを要求す。
各人に霊の生命と活動を与ふる神(しん)の一なる事がこれを要求す。
凡その人が嗣ぐに招かれたる天の福楽が一なる事がこれを要求す。
贖罪主救主の一なる事がこれを要求す。
新生命に転生せしむる洗礼の一なる事がこれを要求す。
凡その人を一つの愛にて包容し一つの全能力を以て治め
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「生まれ変わり」はあるんですか Is there a “reincarnation”?

「生まれ変わり」はあるんですか

Is there a “reincarnation”?

人間が死んで次の世では犬や猫に生まれ変わるというのは、仏教の輪廻の考え方です。キリスト教にはそういう考え方はありません。死後、人はしばらく眠りにつきます(永眠)が、やがて、ハリストスがこの世に再びやってくるとき、新しい体を与えられて復活し、生前の生き方に応じて裁かれます。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

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名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

パイシオス長老との談話」から序言と伝記 – アタナシオス ラコヴァリス 著 The life of Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

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SAINT PAISIOS OF MOUNT ATHOS, GREECE

パイシオス長老との談話」から序言と伝記

アタナシオス ラコヴァリス 著

The life of Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

私は長老パイシオス神父のことを12年間以上知っている。彼が私を自覚的な正教信徒にしてくれたのだ。彼は信仰においても実生活でも私を導いてくれ、生活上のあらゆる問題点について助言してくれた。

 私は聖なる山(アトス)で7年間以上暮らすという祝福を得た。5年間はAthoniada Schoolの教師として、そして2年間はイコン画を学ぶために。私は長老のすぐそばにいたかった。彼に会った瞬間から、私は彼にひきつけられずにはいられなかったからだ。

私はしばしば言ったものだが、彼は母よりも私を愛してくれた。私がこんなことを言うのを母が許してくれるように。母は実際私をどんなに愛してくれただろう。しかしパイシオス長老の愛は普通の人間的愛よりはるかにまさるものであった。彼の愛は、天的なものであり精神的なものであった。

パイシオス神父は私に対してまるで実の父親、いやそれ以上の者のように接してくれた。私はしかし自分自身を放蕩息子のようにいつも感じていた。私は彼を“父”とはとても呼べないし、私が彼の精神的な息子であるなどとは、とてもではないが言えないのだ。その理由だって?私は彼にちっとも似ていないからだ。私は、彼の美徳にならって心からの善意を持とうと思っても、とうていできない。「もし私を父と呼ぶことを願うなら、私の業にならえ」と言われている。じゃあ、私はパイシオス神父にならったか?とんでもない。だから彼を父と呼ぶ権利は私にはない。長老の徳は彼の徳で、私自身の意気地のなさは私の意気地のなさなのだ。

彼と会話した後、そう頻繁ではなかったけれど、彼の助言を覚えておくために彼の言葉を書きとめておいた。ふつうは会話の直ぐあとで、あるいは数時間後に、たまには1日か2日後に、私は長老の言葉をそのまま書きとめた。これらの言葉を書きとめる時には、それがいつ話されたかに注意して日付を入れた。これらの言葉は彼の庵を訪問した時あるいは徹夜祷のあと彼と話す機会があった時に話されたものである。

長老が永眠された今、彼の助言を私の信仰における兄弟姉妹に伝えることが私の義務だと考える。多くの人達がそれらの助言を実際生活の中に取り入れたいだろうし、それによって私よりずっと利益を得るだろうと私は信じている。幸いなる者は言葉を生きる人であり、言葉をただ聞いたり読んだりするだけの人ではないのだ。

祝福された長老パイシオス、この世での名前アルセニオス エツネピデスは、1924年7月25日にカッパドキアのファラサに生まれた。彼はコニツァで成長し、アトス(聖なる山)で修道士になり、そこで彼の人生の大半を過ごした。彼は1994年7月12日に亡くなり、テッサロニカのソウロウテにある神学者ヨ Continue reading “パイシオス長老との談話」から序言と伝記 – アタナシオス ラコヴァリス 著 The life of Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)”

立つこと – 聖体礼儀 Divine Liturgy

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COMING HOME – ORTHODOXY

立つこと

聖体礼儀 Divine Liturgy

正教徒の祈りの姿勢の基本は立つことです。 ハリストスの復活と、その復活を 分自身の ものとして体験するためです。 もちろん、病弱な方・高齢者のためにイスは 少し用意されていますが、小さな子供も、幼い 時から聖堂では立つことをしつけられます。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/正教会の礼拝.html#sokode

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