東方正教会の歴史 History of the Eastern Orthodox Church

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東方正教会の歴史

History of the Eastern Orthodox Church

1 初代教会

正教会の歴史を説明するには、最初にハリストス(キリスト)とその弟子たちについてふれなければなりません。正教会は、ハリストス(キリスト)によって作られた教会そのものなのです。ハリストス(キリスト)は、十字架にかかり、死に、そして復活した後、昇天されました。そしてこの世の終わりに光栄のうちに再び来られます(「再臨」という)。このハリストス(キリスト)の昇天と再臨の間の期間のために、ハリストス(キリスト)は私たちに「教会」を与えられました。

「教会」はギリシャ語で「エクレシア」と言います。これは「呼び集められた者の集まり」という意味をもつ言葉です。つまり「教会」とは、この世においてそして天国において神の言葉を守り、神の御旨と業を行うために招集された神の民の集まりです。

ハリストス(キリスト)は、凡そ30才の時に公に人々の前に現れ、神の国を教え、やがて十字架と復活という救いの業をなされました。このことを「公生涯」と言います。歴史的に言えば、ローマ皇帝ティベリウス在位(紀元後14~37年)の時代です。
ハリストス(キリスト)はその「公生涯」の最初から弟子たちをご自分のそばに招きよせました。弟子たちは次第に増えていき、その中から特別に12人を選びました。それが「十二弟子」とか「十二使徒」と呼ばれる人たちです。ハリストス(キリスト)は、単なる「教えの言葉」を与えるだけではなく、神の国の体験、人としての正しい生き方、正しい信仰を、生活をとおして伝授するために十二弟子を選ばれたのです。弟子たちはハリストス(キリスト)を見、聞き、触れ、生きた交わりをした人たちでした。そして彼らはハリストス(キリスト)の「復活の証人」となりました。

弟子たちのもとへ聖神(せいしん)が降臨した時、彼らはハリストス(キリスト)の教えの意味、十 Continue reading “東方正教会の歴史 History of the Eastern Orthodox Church”

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パイシオス長老との談話」から序言と伝記 – アタナシオス ラコヴァリス 著 The life of Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

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SAINT PAISIOS OF MOUNT ATHOS, GREECE

パイシオス長老との談話」から序言と伝記

アタナシオス ラコヴァリス 著

The life of Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

私は長老パイシオス神父のことを12年間以上知っている。彼が私を自覚的な正教信徒にしてくれたのだ。彼は信仰においても実生活でも私を導いてくれ、生活上のあらゆる問題点について助言してくれた。

 私は聖なる山(アトス)で7年間以上暮らすという祝福を得た。5年間はAthoniada Schoolの教師として、そして2年間はイコン画を学ぶために。私は長老のすぐそばにいたかった。彼に会った瞬間から、私は彼にひきつけられずにはいられなかったからだ。

私はしばしば言ったものだが、彼は母よりも私を愛してくれた。私がこんなことを言うのを母が許してくれるように。母は実際私をどんなに愛してくれただろう。しかしパイシオス長老の愛は普通の人間的愛よりはるかにまさるものであった。彼の愛は、天的なものであり精神的なものであった。

パイシオス神父は私に対してまるで実の父親、いやそれ以上の者のように接してくれた。私はしかし自分自身を放蕩息子のようにいつも感じていた。私は彼を“父”とはとても呼べないし、私が彼の精神的な息子であるなどとは、とてもではないが言えないのだ。その理由だって?私は彼にちっとも似ていないからだ。私は、彼の美徳にならって心からの善意を持とうと思っても、とうていできない。「もし私を父と呼ぶことを願うなら、私の業にならえ」と言われている。じゃあ、私はパイシオス神父にならったか?とんでもない。だから彼を父と呼ぶ権利は私にはない。長老の徳は彼の徳で、私自身の意気地のなさは私の意気地のなさなのだ。

彼と会話した後、そう頻繁ではなかったけれど、彼の助言を覚えておくために彼の言葉を書きとめておいた。ふつうは会話の直ぐあとで、あるいは数時間後に、たまには1日か2日後に、私は長老の言葉をそのまま書きとめた。これらの言葉を書きとめる時には、それがいつ話されたかに注意して日付を入れた。これらの言葉は彼の庵を訪問した時あるいは徹夜祷のあと彼と話す機会があった時に話されたものである。

長老が永眠された今、彼の助言を私の信仰における兄弟姉妹に伝えることが私の義務だと考える。多くの人達がそれらの助言を実際生活の中に取り入れたいだろうし、それによって私よりずっと利益を得るだろうと私は信じている。幸いなる者は言葉を生きる人であり、言葉をただ聞いたり読んだりするだけの人ではないのだ。

祝福された長老パイシオス、この世での名前アルセニオス エツネピデスは、1924年7月25日にカッパドキアのファラサに生まれた。彼はコニツァで成長し、アトス(聖なる山)で修道士になり、そこで彼の人生の大半を過ごした。彼は1994年7月12日に亡くなり、テッサロニカのソウロウテにある神学者ヨ Continue reading “パイシオス長老との談話」から序言と伝記 – アタナシオス ラコヴァリス 著 The life of Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)”

シラクサのルチア St Lucy of Sicily, Italy

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シラクサのルチア

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シラクサのルチア

シラクサのルチア (イタリア語:Santa Lucia, 英語:Saint Lucy 伝承による生没年:283年-304年)は、聖ルチアの名で知られるキリスト教の殉教者。目、及び視覚障害者、そしてシラクサの守護聖人。

記念日は、西欧では12月13日。

『ルチア』とはラテン語で光を意味するLuxまたはLucidから派生した名前である。

確かなことは、ディオクレティアヌス帝支配下のシラクサで304年に殉教したという事のみである。彼女の犠牲はローマに広まり、6世紀には彼女を信仰の守護者として、教会全体で讃えるようになった。
ローマ人であったルチアの父が死ぬと、彼女と母エウティシアは何の後ろ盾もなかった。エウティシアは4年あまりも瀉痢に苦しんだが、ルチアは聖女シチリアのアガタの奇跡を聞きつけ、ミサに参加した。エウティシアの病が癒されるよう、2人は聖アガタの墓前で一晩中祈り続けた。いつしか母子は眠ってしまうと、ルチアの枕元に聖アガタが姿を見せ、『私がそうしたように、あなたはすぐシラクサの栄光となるのです。』と言った。エウティシアはたちまち全快した。
エウティシアはルチアを異教徒と政略結婚させようとしたが、ルチアは自身の処女を守るために、持参金を貧者への施しとしてほしいと拒んだ。エウティシアは持参金が良い遺産になると示唆したが、ルチアは逆に母を説き伏せた。自分にはより高貴な婚約者(すなわちキリスト) Continue reading “シラクサのルチア St Lucy of Sicily, Italy”

Ο Εβραίος Ραβίνος Ισαάκ Μ. από την Άρτα που πίστεψε στο Χριστό, χειροτονήθηκε Ιερέας & έγινε Ιεραπόστολος στη Ρουμανία & Ιαπωνία

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CONVERSIONS TO ORTHODOXY

Ο Εβραίος Ραβίνος Ισαάκ Μ. από την Άρτα

που πίστεψε στο Χριστό, χειροτονήθηκε Ιερέας & έγινε Ιεραπόστολος

στη Ρουμανία & Ιαπωνία

Εισαγωγή

Στο βιβλίο αυτό, ο συγγραφέας Νικόλαος Αμβράζης, θεολόγος, παρουσιάζει με γλαφυρό και συγχρόνως συναρπαστικό τρόπο και με πολλές λεπτομέρειες, την μεταστροφή ενός πρώην Εβραίου Ραββίνου ελληνικής καταγωγής, τον Ισαάκ από την Άρτα, στην Ορθόδοξη Χριστιανική πίστη και ζωή την οποία ακολούθησε με πολύ ζήλο, αφοσίωση, αγωνιστικότητα, ανιδιοτέλεια, αυταπάρνηση, υπακοή, υπομονή και αγάπη.

Ο Ισαάκ Μ. ως Εβραίος και Ραββίνος, ήταν ζηλωτής των πατρώων εβραϊκών παραδόσεων και μισούσε τον Χριστιανισμό, μετά δε την μεταστροφή του, ως Χριστιανός, ομολόγησε με παρρησία τον Χριστό, μελέτησε εις βάθος την Αγία Γραφή και τα Ορθόδοξα δόγματα, χειροτονήθηκε ιερέας της μητρός Ορθοδόξου Εκκλησίας του Οικουμενικού Πατριαρχείου της Κωνσταντινουπόλεως και έζησε αγία ζωή.

Ο π. Ιωάννης, ο πρώην Ραββίνος εργάστηκε ιεραποστολικά μεταξύ των ομοθρήσκων και ομοεθνών του Εβραίων στην Κωνσταντινούπολη, στη Ρουμανία και στην Ιαπωνία, όπου πήγε ακολουθώντας τον πρώτο Ορθόδοξο ιεραπόστολο της Ιαπωνίας, ρώσο επίσκοπο Νικόλαο. Εκεί στην Ιαπωνία, παρέδωσε το πνεύμα του εν Κυρίω ως ιεραπόστολος.

Η ζωή του ήταν περιπετειώδης, η καρδιά του καθαρή και χριστοφόρα, η ευσέβειά του πατερική, η πίστη του φωτεινή, το τέλος του οσιακό.

Γνωριμία και φιλία του Ισαάκ με το Νικόλαο

Ο Νικόλαος Αμβράζης (1854-1926) καταγόταν από την Άρτα της Ηπείρου από πιστούς και πτωχούς γονείς. Μετά το τέλος των γυμνασιακών του σπουδών, πήγε Continue reading “Ο Εβραίος Ραβίνος Ισαάκ Μ. από την Άρτα που πίστεψε στο Χριστό, χειροτονήθηκε Ιερέας & έγινε Ιεραπόστολος στη Ρουμανία & Ιαπωνία”

エギナの聖ネクタリオス St Nektarios of Aigine

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SAINTS OF MY HEART

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エギナの聖ネクタリオス

エギナの聖ネクタリオス (+1920)

(St Nektarios of Aigine Island, Greece)

エギナの聖ネクタリオス

エギナの聖ネクタリオス(ギリシア語: Άγιος Νεκτάριος Αιγίνης, 英語: Saint Nektarios of Egina、1846年 – 1920年)は、正教会の聖人。日本正教会で多用される教会スラヴ語由来の転写ではネクタリイ。

修道院の設立と指導、数多くの著述、信徒の精神的指導、および数々の奇蹟によって知られる。神学者、哲学者、詩人、教育者、禁欲主義者、神秘主義者などと称されるほどの多才な面があった。歌詞は公祈祷の祈祷文によるものではないが、全世界の正教会で愛唱される聖歌『アグニ・パルセネ』(ギリシア語: Αγνή Παρθένε)を作曲してもいる。

1846年10月1日、トラキアのシリヴリアの貧しい家庭に生まれた。生まれた際の俗名はアナスタシオス・ケファラス(ギリシア語: Αναστάσιος Κεφαλάς)。14歳のとき、働きつつ教育を受けるためにコンスタンディヌーポリに移住。1866年からはキオス島の学校で教えつつそこに7年間住み、30歳で修道士となる。3年後、輔祭となり、ネクタリオスの名を与えられる。1885年にアテネ大学を卒業。大学時代から、多くの聖書註解を含む多くの著述を行う。

アレクサンドリアで司祭に叙聖され、カイロの教会に奉職。これは名誉ある職分であった。1889年に敬神の念と説教者としての実力、牧会能力が評価され、総主教ソフロニオスによりペンタポリス府主教に叙聖される。すぐにネクタリオスの人望が高まるが、その声望を妬んだ聖職者達によって噂が立てられ、噂を信じてネクタリオスの弁明を聞かなかった総主教ソフロニオスにより、弁解の機会も与えられず教会裁判の手続きも経ず、エジプトから追放される。1891年にギリシャに戻り、何年かを説教者として過ごす。

1894年にアテネ・リザリオス教会学校の校長を任ぜられ、15年間在職しこの間多くの著作をのこす。1904年には何人かの修道女の求めに応じ、エギナ島に至聖三者女子修道院を設立する。1908年12月に神学校校長の職を辞し、エギナ島の至聖三者女子修道院に一修道士として隠棲する。ここでも著述を行い、精神的指導を求めて来る近隣の人々の痛悔を聞いた。
1920年11月9日、永眠。永眠後の遺体の傍らで、重病人が快癒する奇蹟が起きたと伝えられている。埋葬式には多くの人がギリシャ・エジプト全土から訪れた。1961年4月20日に列聖。生前からネクタリオスを聖人とみる人々が多かったが、正式な列聖はこの日に行われた。

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アトス山 – 正教会 Athos ╰⊰¸¸ •¨* ビデオ Video

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アトス山 – 正教会 Athos