Rin Yamashita, Ιαπωνία (1857-1939): Η Ιαπωνέζα ζωγράφος από οικογένεια Samurai η οποία βαπτίστηκε Ορθόδοξη Χριστιανή από τον Άγιο Νικόλαο Κασάτκιν, Φωτιστή της Ιαπωνίας (+1912)

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Rin Yamashita, Ιαπωνία (1857-1939): Η Ιαπωνέζα ζωγράφος από οικογένεια Samurai η οποία βαπτίστηκε Ορθόδοξη Χριστιανή από τον Άγιο Νικόλαο Κασάτκιν, Φωτιστή της Ιαπωνίας (+1912)

Η Rin Yamashita γεννήθηκε το 1857 σε μία φτωχή οικογένεια Samurai στην πόλη Kashima της Ιαπωνίας. Σαν μικρό κορίτσι, της άρεσε η γλυπτική και η ζωγραφική. Όταν η Rin ήταν 16, πήγε στο Tokyo να σπουδάσει ζωγραφική. Εκεί συνάντησε τον Άγιο Νικόλαο Κασάτκιν τον Φωτιστή της Ιαπωνίας (+1912) και ενδιαφέρθηκε σοβαρά για την Ορθόδοξη Πίστη. Μερικοί από τους Ιάπωνες φίλους της στο Tokyo ήταν Ορθόδοξοι Χριστιανοί. Η Rin βαπτίστηκε και της δόθηκε το Ρωσικό όνομα Irina (Rin).

Η Irina αγάπησε την Ρωσική τέχνη, ειδικά το έργο του Ivan Kramskoy ο “Χριστός στην Έρημο”.

Εκείνο τον καιρό, η Ορθόδοξη Εκκλησία στο Tokyo δεν είχε Ι. Εικόνες και υπήρχε ανάγκη για μία σχολή αγιογραφίας. Ο Επίσκοπος Άγιος Νικόλαος Κασάτκιν είδε πόσο ταλαντούχα ήταν η Irina και την έστειλε στην Αγία Πετρούπολη να σπουδάσει αγιογραφία.

Το κλίμα της Αγίας Πετρούπολης ήταν πολύ δύσκολο για την Irina και ήταν συχνά άρρωστη. Όμως ήταν καλή μαθήτρια και μάθαινε γρήγορα. Το αγαπημένο της μέρος στην Αγία Πετρούπολη ήταν το Μουσείο Hermitage.

Ο Άγιος Νικόλαος Κασάτκιν έστελνε γράμματα στην Irina για να την ενθαρρύνει. Έλεγε στην Irina πως θα γίνει μία εξαιρετική αγιογράφος.

Το 1883 η Irina επέστρεψε στην Ιαπωνία. Ζωγράφισε Ι. Εικόνες για την Εκκλησία και δίδαξε πολλούς μαθητές. Με την βοήθεια της, πολλοί Ιάπωνες έμαθαν να κατανοούν και να αγαπούν την Ρωσική παράδοση και τέχνη. Η Ι. Εικόνα της Θεοτόκου που ζωγράφισε δόθηκε στον Τσάρο Νικόλαο τον Β´ όταν αυτός επισκέφτηκε την Ιαπωνία το 1891.

Η Irina πέθανε το 1939. Δυστυχώς, πολλές Ι. Εικόνες που σχεδιάστηκαν από την Irina Yamashita χάθηκαν σε έναν σεισμό. Η Ι. Εικόνα της Θεοτόκου που δόθηκε στο Τσάρο Νικόλαο τον Β´ φυλάσσεται σήμερα στο Μουσείο Hermitage.

Πηγή:

http://orthodoxy-rainbow.blogspot.com

http://orthodoxy-rainbow.blogspot.com/2019/02/blog-post_10.html

ΟΡΘΟΔΟΞΗ ΚΕΛΤΙΚΗ ΚΑΙ ΑΓΓΛΟΣΑΞΟΝΙΚΗ ΕΚΚΛΗΣΙΑ

 

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Rin Yamashita, Japan (1857-1939): A Japanese painter woman from Samurai family who became Orthodox Christian by Saint Nickolas Kasatkin the Enlightener of Japan (+1912)

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CONVERSIONS TO ORTHODOXY

Rin Yamashita, Japan (1857-1939):

A Japanese painter woman from Samurai family

who became Orthodox Christian by Saint Nickolas Kasatkin

the Enlightener of Japan (+1912)

Rin Yamashita was born in 1857 in a poor Samurai family in the town of Kashima, Japan. As a little girl, she loved drawing and sculpting. When Rin was 16, she went to Tokyo to study art. There she met Saint Nicholas Kasatkin the Enlightener of Japan (+1912)  and became seriously interested in the Orthodox faith. Some of her Japanese friends in Tokyo were Orthodox Christians. Rin converted to Christianity and was given the Russian name Irina.

Irina loved Russian art, especially Ivan Kramskoy’s painting Christ in the Desert.

At that time, the Orthodox Church in Tokyo did not have icons, and there was need for an icon-painting school. The Bishop Saint Nicholas Kasatkin of Japan  saw how talented Irina was and sent her to Saint Petersburg to study iconography.

The climate of Saint Petersburg was very difficult for Irina, and she was often ill. But she was a good student and learned well. Her favourite place in Saint Petersburg was the Hermitage.

Saint Nicholas Kasatkin sent letters to Irina to encourage her. He told Irina that she would become a wonderful painter.

In 1883 Irina returned to Japan. She painted icons for the church and taught many students. With her help, many Japanese people learned to understand and love Russian culture and art. Her icon of the Theotokos was given to Tsarevich Nicholas, future Saint Tsar Nicholas II, when he visited Japan in 1891.

Irina died in 1939. Sadly, many icons painted by Irina Yamashita were lost in an earthquake. Her icon of the Theotokos presented to Tsar Nicholas II is now kept in the Hermitage.

Source:

http://www.englishforrussianorthodox.com/rin-yamashita

ENGLISH LANGUAGE STUDY FOR RUSSIAN ORTHODOX LEARNERS

そのためには何が他の人に必要か考えなければいけませんが、どうしたらよいですか。 – 聖山アトスのパイシイとの対話 – Q&A – Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

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そのためには何が他の人に必要か考えなければいけませんが、どうしたらよいですか。

聖山アトスのパイシイとの対話

Q&A

Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

――長老様、そのためには何が他の人に必要か考えなければいけませんが、どうしたらよいですか。

――他人の立場に自分を置いて考えてごらん。そうしたら何が必要か分かるじゃろう。自分の殻の中に閉じこもっておったら、他人が何を求めておるか分かるはずもないからな。

今は多くの人が、どうやったら他人の場所に座れるかということばかり考えて、自分を他人の居場所に据えてみるかということはてんで考えもせん。領聖の時によくあることじゃが、他人を押しのけて聖杯に近づこうとする。「私は急いでいる、用事があるんだ」とそれぞれが考えていて、「私は領聖するにふさわしい人間であろうか?」とか「もしかして私より急いでいる人がいるかもしれない」などと考えておるかの?とんでもない!領聖して、平気な顔で出ていくのじゃ。万が一ご聖体がお前さんのぶんだけ足りなかったとしても、お前さんはそれを喜ばなければならん。それは誰か他の人がご聖体にありついたことを意味しているからじゃ。司祭の手のなかにたった一つのご聖体、たった一つの真珠が残ったとして、それをお前さんではなく、領聖する必要のある瀕死の病人が受け取ったとしたら、どうして喜ばずにいられよう?ハリストスがわしらに望んでおられるのは、実はこのことなのじゃ。こうしてハリストスが心にお入りになり、人を喜びで満たすのじゃ。

ソース:

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http://nagoya-orthodox.com/ja/アトスの長老パイシイの教え_自己愛とは何か.html

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私は姉妹のうちの一人とうまくいっておりません。 – 聖山アトスのパイシイとの対話 – Q&A – Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

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私は姉妹のうちの一人とうまくいっておりません。

聖山アトスのパイシイとの対話

Q&A

Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

――長老様、私は姉妹のうちの一人とうまくいっておりません。

――それはな、多くの人は他人が自分を圧迫していると感じるのじゃが、実は自分が他人を圧迫しているということが見えないんじゃ。他人に要求はするが、自分に対してはどうかの?霊的生活というのは、このように逆に考えなければならん。わしらがこの世に生まれたのは、休んだり、便利に快適に暮らすためかの?陽気に楽しく暮らすためではなく、自分を浄めて、来る別な人生に向けて準備をするためじゃ。そうではないか?

もしわしらがいつも自分のことばかり考えて、好きなことばかりしていたとしたら、じきに他人もわしらのことを考え、仕え、助けてくれるよう求めるようになるじゃろう。つまり、自分がよければいいということじゃ。「私はこうしたい」と一人が言えば、「私はああしたい」と別な者が言う。おのおのが自分の好きなことを追うが、心はいつまでたっても落ち着かない。なぜなら、本当の平安は、人が自分のことでなく、他人のことを考える時に訪れるからじゃ。

1941年、ドイツ軍に占領されておった時、多くの村が焼き払われたり、人々が殺されたりしておった。わしらはコニーツァから山の方へ疎開したんじゃ。ドイツ軍がコニーツァに侵攻した日、わしの兄弟二人は山を下りて、トウモロコシ畑の土を掘り返しに行っていた。わしはその知らせを聞いて母のところへ飛んでいった。「お母さん、下に行ってお兄さん達に危険だって伝えてくるよ」。母はわしを行かせようとしなかった。なぜなら周りが言うに、いずれあの二人はだめだろう、だったらせめてこの子だけは引き止めておけ、さもないと子供を皆失うことになる、ってな。「そんなことがあるものか」とわしは思い、長靴をはいて外に飛び出した。あまり急いでおったもので、長靴のひもをきちんと結んでおかなかったんじゃな。撒水したばかりの畑でぬかるみにはまって、長靴だけすっぽ抜けてしまった。わしは靴は放っておいて、はだしで川沿いに走っていったのじゃが、そこはアザミがいっぱい生えておったのじゃよ。1時間近く夏の暑い中、トゲだらけの草の中を走って、何の痛みも感じなかったな。畑に着くと兄弟に大声で「ドイツ軍が来たぞ、早く隠れて」と叫んだよ。そこへ武装したドイツ軍の兵士が近づいてくるのが見えたんじゃ。「畑を掘るのを続けて。僕はトウモロコシを間引きするふりをしているから」とわしは言ったんじゃ。ドイツ兵は脇を通っていったが、何も言わなんだ。後で自分の脚を見たら、トゲで傷だらけになっておった。その時まで痛いなんてことさえ感じなかったのじゃ。このときの喜びといったら!自分を犠牲にした喜びじゃ。自分の兄弟を見殺しに出来るかの?もし彼らに何か起こっていたら?その時はわしの良心が苦しめたじゃろう。たとえわしに良心がなかったとしても、自分を正当化して言い訳する苦しみに苛まれたじゃろうな。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

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自己愛とは何ですか。 – 聖山アトスのパイシイとの対話 What is self-love? – Q&A – Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

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SAINT PAISIOS OF HOLY MOUNT ATHOS

自己愛とは何ですか。

聖山アトスのパイシイとの対話

What is self-love?

Q&A

Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

――長老様、自己愛とは何ですか。

――自己愛とはな、人間が古ぼけた自分にこだわりを持つこと、つまり古ぼけた自分をよけいに愛することじゃ。腹いっぱい食ったり、自分勝手だったり、頑固、ねたみ、みんな自己愛から来ておるのじゃよ。ある者は便利さや快適さを求めて、他の人のことは考えもしないものじゃ。またある者は自分の健康にこだわりすぎるあまり、睡眠やら食べ物やらの決まりで頭がいっぱいだったりする。またある者は、周りが認めて評価してくれることばかり要求している。ちょっとでも傷つくようなことがあれば、すぐに憤慨しよる。「何でおれのことを認めてくれないんだ?どうするか見ていろ!」ってな。いやはや、自己愛とは恐ろしいものじゃ。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

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キリストの体(聖体血)を中心にした奉神礼共同体

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HAVE FAITH – ORTHODOXY

キリストの体(聖体血)を中心にした奉神礼共同体

ビザンティン時代に現在のかたちがほぼ確立した奉神礼(礼拝)には、初代教会の礼拝のかたちと精神性がしっかり保たれています。

中心となるのは聖体礼儀です。これは、神学的な理解や祈りのかたちは異なりますが、カトリック教会でミサ、プロテスタント教会で聖餐式といわれるものにほぼあてはまります。主イイスス・ハリストスの復活を「記憶」(キリスト教独自の意味があり「現実に今ここに在るものとして想い起こす」と言えば近いでしょうか)する毎日曜(主日)と諸祭日を中心に行われます。

「主が来られる時(再臨)に至るまで(コリント前書11:26)」、「私を記念(記憶)するためこのように行いなさい(ルカ伝22:19)」という教えを守り、主日ごとの聖体礼儀に集い、主のお体と血としてのパンとぶどう酒(聖体・聖血)を分かちあうことが、教会の基本的なつとめであると理解されています。一つのパンから、また一つの爵(カップ)から聖体聖血を分かち合うことを通じて、信徒はハリストス・神と一つとなると同時に、互いが一つとなり、ハリストスが集められた「新たなる神の民の集い・教会」が確かめられます。

この神との交わりの体験の積み重ねこそ信徒の成長のみなもとであり、そこで受ける神の恵みがなければ、「よい生き方」をめざすどんなまじめな人間的な努力も実を結びません。

ソース:

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アンドロニク ニコリスキイ St Andronik Nikolsky of Kyoto, Japan (+1918)

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アンドロニク ニコリスキイ

St Andronik Nikolsky of Kyoto, Japan (+1918)

アンドロニク(修道誓願前の姓:ニコリスキイ、Andronik (Nikolsky)、1870年8月13日(ユリウス暦の8月1日) – 1918年6月20日 (ユリウス暦の7月7日)は、ロシア正教会と日本正教会の主教。正教会で聖人。日本正教会では初代京都の主教でもあった事から、「ペルミの神品致命者聖アンドロニク」の称号のほかに「初代京都の主教聖アンドロニク」の名でも呼ばれる。
ロシア革命時に、生き埋めの上で銃殺され致命した事で知られる。

生涯

1870年8月1日、ヤロスラヴリ教区のムィシュキン村(Myshkin)に生まれる(俗名:ウラジーミル・ニコリスキイ)。父は輔祭。
1891年にヤロスラヴリ神学校を卒業すると、モスクワ神学大学に入学。在学中の1893年8月1日に修道士となり、アンドロニクの修道名を授かる。1895年7月22日、修道司祭に叙聖された。その後、クタイシの神学校に赴任する。1898年には1年弱の期間、来日して日本正教会での修道司祭の任にあった。1900年には掌院に昇叙された。

京都の主教として

1906年11月、ロシア正教会の聖務会院によってニコライ・カサートキンを輔佐する主教として、来日経験のあるアンドロニクを選ぶ決定がなされた事により、掌院アンドロニクは京都の主教に叙聖された。叙聖式はアレクサンドル・ネフスキー大修道院の大聖堂で行われた。

1907年3月8日、京都正教会の司祭シメオン三井道郎が出迎える敦賀港に入港。1907年4月7日の生神女福音祭は京都正教会(生神女福音聖堂)で司祷している。

同年4月下旬には「京都の主教」のタイトルではあるが大阪を常任地とする決定を東京滞在中に行った(常任地をタイトルと違う場所に設定する事は正教会ではあまり珍しく無い)。聖枝祭、受難週、復活大祭、光明週間、フォマの主日を大阪正教会で司祷している。しかしながら体調の悪化により滞在僅か3ヶ月で6月中旬にロシアに帰国した。

ロシア革命により致命

帰国後10年間、1898年に共に来日した経験のあるセルギイ・ストラゴロツキイと共にロシア正教会の中枢で活躍したが、ロシア革命によって無神論を掲げ宗教弾圧を行うボリシェヴィキが政権を握るとロシア正教会は大弾圧を蒙った。
大主教アンドロニク(1918年4月にアンドロニクは大主教に昇叙されていた)は1918年6月22日、ヴェーチェーカーによりペルミの森で自ら掘らされた墓穴に生き埋めにされた上で銃殺され致命した。47歳であった。

列聖

2000年8月にロシア正教会はアンドロニクを新致命者の一人として列聖。列聖式には日本正教会から、首座主教である全日本の府主教ダニイル主代郁夫と、東日本の主教セラフィム辻永昇が陪祷した。2004年2月には京都正教会に聖アンドロニクのイコンが、京都正教会の制作依頼によりモスクワから届けられている。

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